本節では、確率論的地震ハザード評価のリスクマネジメントへの利用例として、建物の地震リスク(PML)評価への適用と、地震リスクファイナンス分野への適用の問題について述べる。元来、工学分野で開発されてきた確率論的地震ハザード・リスク評価技術が領域拡大し、不動産や金融の分野でも活用されるようになった事例である。
(1)背景
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バブル経済の崩壊に伴い、不動産投資に対する考え方は大きく変わりつつある。従来の右肩上がりの経済下では値上がり益(キャピタルゲイン)が重視されたのに対して、現在ではそこから生み出されるキャッシュフローにより不動産の価値が評価されるようになっている。併せて、関連法制度の整備もあいまって、不動産証券化や不動産投資信託(J-REIT)などの新しい不動産投資の仕組みが登場している。
キャッシュフローにより不動産価値を評価するためには、単なる収益の評価のみでなく、不動産に係わる種々のリスクも適正に評価しておく必要がある。とりわけわが国では地震に対するリスクを無視し得ないため、建物の地震リスクの定量評価へのニーズが顕在化している。
投資不動産に対する詳細な物件調査(デューデリジェンス)の中で、建物に関する物的な調査を報告書にまとめたものはエンジニアリングレポートと呼ばれている1)。エンジニアリングレポートに記載される標準的な項目を表4.7.1に示すが、その一つに地震リスク診断があり、そこで標準的に用いられている指標が地震PMLである。
(2)PMLの定義と評価方法
建物の地震リスクの表現方法にはさまざまなものがあるが2)、基本的には対象期間内の損失と超過確率の関係を示したリスクカーブで表わすのが合理的である。しかしながら、簡便さや利便性の観点からは一つの数値でリスクが表現される方が望ましく、こうした立場から定義されたリスク指標の一つがPML(Probable Maximum Loss:予想最大損失)である。
不動産評価(エンジニアリングレポート)で標準的に用いられているPMLを文献 1) では次のように定義している。「対象施設あるいは施設群に対し最大の損失をもたらす再現期間475年相当の地震が発生し、その場合の90%非超過確率に相当する物的損失額の再調達価格に対する割合」
建物の地震リスク評価のフローを図4.7.1に示す3) 4)。手順としては、建物の立地場所での地震環境の評価(確率論的地震ハザード評価)、当該建物の耐震脆弱性評価(フラジリティ評価)、被害の損失コストへの換算(ロス評価)に分けられ、必要に応じて地震火災による損失評価が加わる5)。それぞれ確率統計的に評価された結果が統合されリスクカーブを得ることができる。
上記の定義のPMLを求める場合には、確率論的地震ハザード評価で50年超過確率10%(再現期間475年相当)の地震動強さを求め、それに対する損失の90%非超過値がPMLとして算出される。この手順においては、50年超過確率10%に対応する確率論的地震動予測地図が活用できる。
一方、不動産評価では複数の建物を対象とした地震リスクの評価も重要であり、こうした評価は集積リスク評価あるいはポートフォリオリスク評価と呼ばれている4)。ポートフォリオリスクを対象とする場合、リスクを損失比(建物の再調達価格に対する損失の割合)で見ると、全建物の損失を合算したリスクは個々の建物単独のリスクより小さくなる場合があり得る。その理由の一つは地域分散効果であり、立地場所が離れることによって同じ地震により複数の建物が同時に被害を受ける可能性が小さくなる。また、比較的近接した建物であっても、建物ごとの諸特性の独立性により、大数の法則によるリスク低減効果が考えられる。
ポートフォリオ地震リスクの評価では、個々の地震ごとに当該建物に生じる可能性がある損失を合算していくため、確率論的地震ハザードマップ(確率論的地震動予測地図)や個別地点でのハザードカーブではなく、その基の震源データの確率モデルが必要となる。
確率論的地震ハザード評価の再分解(シナリオ型地震動評価との融合の一つ)の方法として「確率論的想定地震」の概念6)があるが、ハザード(地震動強さ)に適合した従来の概念を発展させ、リスク(損失)に適合した確率論的想定地震の選定法についても提案されている7)。この場合、損失を合算することによって、地域的な集積度を考慮した想定地震を選定できることが新たな特徴である。
(3)PMLの評価例
エンジニアリングレポートをチェックする場合の耐震性の目安として、建物の再調達価格に対する比で表した場合のPMLが15%を超えると耐震性に疑問が生じ、20%以上になると例えば証券化などの場合には地震保険の付保が要求されるケースが多いとされている8)。
では、具体的にPMLがどの程度の数値になっているかを見てみる。表4.7.2は現在上場されている不動産投資信託(J-REIT)の各物件のPMLを整理したものである。表には個別の物件のPML値の範囲とポートフォリオ全体でのPML値を示している。各物件は立地場所(地域)、地盤、用途、建築年代、構造などがさまざまであるため、PML値はそれなりに幅を有する。PML値が相対的に高い物件の中には地震保険が付保されているものもある。また、ポートフォリオ全体でのPML値はいずれも10%以下となっている。
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