地震動予測地図の工学利用に関する提言
地震動予測地図工学利用検討委員会で行ってきた検討をふまえて、地震動予測地図の活用へ向けて、以下に示す提言をとりまとめた。この提言は、当委員会における討議・外部からの意見吸収(当委員会主催の地震動予測地図工学利用ワークショップ、地震動予測地図の社会的影響に関する意見交換会)、および平成15 年3 月、16 年3 月の地震動予測地図ワークショップ(文科省・防災科研主催)などにおいて明確になった事項を体系的に整理した結果である。
当委員会は防災科学技術研究所に設置された委員会であると同時に、その検討内容は地震調査研究推進本部政策委員会の「成果を社会に活かす部会」に提言され、同部会の討議に付されるという趣旨で運営されてきた。従って、第一義的にはこの提言は成果を社会に活かす部会に向けて発せられるものである。しかしながら、提言の内容は同部会の直接的な検討課題を含むものの、むしろ地震動予測地図の作成者や、工学利用を実践する専門家へのメッセージが多くの部分を占めている。こうした外部への発信についても、同部会で積極的に取り組まれることを要望するものである。
提言の主旨は、既製品としての地震動予測地図をどう使うかではなく、地震動予測地図の工学利用の可能性、そのために必要な事項に関する作成者への要請、これらが実現されたうえで工学利用の具体的方向、工学活動の社会的関連の課題などについて整理を行った結果であり、地震工学的活動を軸にしながら、関連する事項についてできるだけ広い視野を保持するよう努めた。その結果、提言の対象を整理すると、地震動予測地図作成者への提言、社会との係わりに関して成果を社会に活かす部会での検討事項の提言、および地震動予測地図の工学的利用者への提言からなる3 部構成の提言とした。
以下に、地震動予測地図の全国概観図が平成16年度中の完成することを見通してとりまとめた提言を示す。
1. 地震動予測地図の作成者への提言(作成の技術的観点/今後に対する政策的観点)
1.1 地震ハザードの共通情報基盤としての意義−地震および基盤地震動について理学的に最高のものを。
- 地震動予測地図作成の事業は、生成された地図を表示するだけでなく、地震ハザードの共通情報基盤を形成するデータベースとしての機能を果たすべきであり、そこに工学利用の大きな可能性がある。特に、地震および基盤地震動について、理学的に最高水準のものを実現すべきである。
- 確率論的地震動予測地図は全国的な概観と相対的な地域間比較、シナリオ地震地図は特定の地震シナリオに対する詳細な地震動分布と、それぞれの目的に応じて作成されており、現段階では両者の間に方法論的なギャップがある。将来は、すべてを詳細法で計算し、これを加重平均することにより確率評価を行える状況、すなわち両者が方法論を共有するシームレスな関係となるよう高度化の努力が傾注されるべきである。
- 距離減衰式に関し、北日本版において異常震域の効果を考慮する新たな開発が行われた。簡易的手法においても、このような改善が必要な他地域について、同様の改善が進むことが期待される。
- 地震動予測地図作成プロジェクトを通して形成されつつある理工学の協力の活動を将来にわたり育てて行くことが重要である。それは、評価手法に関する専門家間の合意形成と標準化の努力、学術や技術の進歩を適切に反映する更新の努力などが有効に機能する仕組みとすべきである。
1.2 表示項目の多様性−工学サイドで多様な技術的活動ができる(活動の自由度ある)インターフェースを。
- 工学的利用において必要となる多様な地震動パラメータを発信すべきである。例えば、確率論的地震動予測地図については震度以外に最大加速度・最大速度・応答スペクトル・SI
値など、シナリオ地震地図ではこれらに加えて波形を含めること、などである。
- 地震動予測地図の工学利用に係わる発信の対象は多様であり、1) 詳細な解析担当者(高度システム─建物・ライフライン・プラント関係者etc.)、
2) 一般エンジニア(設計・診断)、 3) 防災担当者(主として行政)、 4) 非専門家(政策決定者・地域リーダー・市民)等多岐にわたる。それに応じて、発信内容は1)
詳細情報(設定条件、基本データ、プロセス、不確定性情報、多様な地震動パラメータ)、
2) 簡潔な情報(たとえば、基盤における速度の分布地図)、 3) 定性的表現(ランクづけetc)等、論理的整合性を保持しつつ多様な表現を用いることが重要である。
- 工学利用においては、ハザードマップからリスクマップへの変換が重要である。そのためには、最終的な確率論的地震動予測地図だけでなく、算出過程に現れるパラメータに工学利用上重要な情報があるので、それらを発信情報に加えるべきである。例えば、特定サイトに対して、各地震ソースからの影響度(確率を固定する場合には地震動強度と個別ソースの影響度、地震動強度を固定する場合には全体確率と個別ソースの影響度)の数値を示すことなどである。
- 確率論的地震動予測地図については、種類が異なる多様な震源の効果を集積するという長所を活かすとともに、個々の震源の影響が隠されるという欠点を補って、成果が誤解なく活用されるよう、きめ細かい情報提供が必要である。例えば海溝型地震と内陸活断層型地震では発生確率に大きな違いがあること、また両者では地震動の諸特性が異なることから、それらの影響を重ね合わせた確率論的地震動予測地図だけでなく、それぞれの分類毎の地図をあわせて提供し、またそれぞれの影響度を表す数値を示すべきである。特にこれら2つのタイプの地震の工学的影響は周期によって異なるので、周期別の影響度を示すことが工学利用の重要な基盤となる。
1.3 結果のみでなく、プロセスの開示−不確定性評価のプロセスが分かるように。
- プロセス開示の必要性:地震動予測地図を生成する基本として与えられているデータを示すべきである。これにより、現代的要請である性能ベースの設計、ライフサイクルコスト、保険金額の算定、などの地震防災ニーズに対して、現状の技術体系のもとで地震動予測地図を活用できる。
- 確率論的地震動予測地図について:地震活動領域の諸元(M-N 関係のタイプとパラメーター、それぞれの変動係数など)地震動に関する諸元(距離減衰式に関する説明、係数に与えたばらつき、地震基盤から工学的基盤及び表層地盤へ至る動的地盤物性とそのばらつき、など)を開示する。
- シナリオ地震地図について:シナリオ地震のソースパラメータ(断層位置・形状、アスペリティーの分布、断層の動的パラメータ、発生確率、地下構造、それらのばらつき、など)。シナリオ地震地図におけるシナリオ選定のルールを明示する。
1.4 公表システムの作成−有効なユーザーインターフェイス形成へ/条件設定に関する吟味が可能なように。
- 情報開示の手段は基本的にインターネットによるが、受け手の設備状況に応じてDVDなど適切な媒体を組み合わせるべきである。
- ハザード計算におけるプログラムをできる限り公開し、ユーザーが条件を変えて計算し直す環境を整備すべきである。具体的には、確率論的地震動予測地図の算出における地震ソース毎の条件を再設定した計算、詳細法によるシナリオ地震地図の対象になっていない活断層について簡便法(距離減衰式を用いる)によるシナリオ地震による地震動の概略推定地図の作成、といったサポートである。
- 丁寧な解説が重要である。利用に関する可能なメニュー(網羅的でなく現実的に)、確率論的地震動予測地図とシナリオ地震地図の主旨と両者の関連(融合)、利用に関する質問・回答のページ設定など。
1.5 適切な更新の重要性−学術・技術の進歩を反映できるように。
- 学術的な進歩による発信情報の高度化、工学利用技術の進歩による発信内容の多様化等が実現するよう、地震ハザードの共通情報基盤としての地震動予測地図を定期的に更新する仕組みを確立すべきである。
- サイエンスに基づく地震動予測地図と工学利用における地震リスク地図の関係が継続的に機能するためには、それぞれの作成条件と利用条件を明示して理解し合う関係を推進することが必須である。作る側と使う側が連携できる仕組みを作り、両者がすれ違いにならぬよう図るべきである。例えば、本報告書に提案する「地震ハザードステーション構想」はその参考になろう。
2. 成果を社会に活かす部会での検討事項の提言―地震動予測地図の理解において、低頻度巨大災害の視点/地震の特徴により変化する災害のクセへ正確な認識を育てる。
- 内陸の活断層における地震の発生確率は地震動予測地図における超過確率に直接影響するから、地震動予測地図においても、一般国民向けの資料において、安心情報と受け取られる結果とならぬよう、その表現には細心の注意を払うことが必要である。すなわち、長期評価結果について、確率値とともに定性的表現を組み合わせるに至ったのと同主旨の検討を地震動予測地図についても行うべきである。
- 一方、地震防災の専門家(1.2(2)において1)〜3)が該当)に対しては、例えば30
年の超過確率 3 %は決して低い確率ではなく、「低頻度巨大災害」の観点から対策に取り組む対象であるとの認識の普及に努力すべきである。
- 発生頻度が高く広域的影響を持つ海溝型地震と低頻度で影響範囲が限られている内陸型(活断層)地震の影響を合成する結果後者の影響を消去してしまうことのないよう工夫が必要である。
3. 工学利用側への提言
3.1 基本的方針−理工学の有効な接点/地震ハザードの共通情報基盤としての活用
- 地震動予測地図は、地震学の最新成果に基づく知見を共通基盤として生かそうとする、理学分野からの働きかけの意味を持つ。その成果を工学目的に活用することは、地震ハザード評価の分野に新たな展開をもたらす可能性が大きい。理工学の協力の場として、これまでの個別課題毎の協力とは異なる包括的な枠組みの可能性を現実的に推進するべきである。
- 工学的な地震危険度はハザードマップだけでなくリスク評価に結びつくことにより意義を持つが、異なる時代の間で共通性があるのは地震動であり、地震被害の内容は時代によっても構造物によっても変わる。従って、工学利用において、地震動をベースに考えることが地震リスクの正確な把握につながる。この意味で、地震動予測地図作成プロジェクトは工学的にも重要な意味を持つと考えるべきである。
- 地震動予測地図の工学利用が可能な領域は、個別構造物や個別システムを対象とする設計・耐震性検証から、地域のマクロな被害想定や構造物・施設群の評価を伴う防災目標の設定や保険の評価など多岐にわたる。地震ハザードの共通情報基盤として地震動予測地図の積極的活用を図るべきである。
3.2 地震動予測地図の工学利用における評価の規範
- 規範I─個別構造物の耐震性能の絶対評価(安全性の明示)が求められる場合 :個別構造物や個別システムの設計・耐震性能検証(サイトスペシフィックな課題)においては、一部に確率論的地震ハザード評価(確率論的地震動予測地図)を活用した事例が見られるようになりつつあるが、主としてシナリオ型地震動評価(シナリオ地震地図)が用いられてきた。特に、高度な動的解析等のシミュレーション技法を駆使して耐震検討を行う場合には地震動の波形が必須条件となる。現段階の地震動予測地図では、このような条件はシナリオ地震地図においてのみ実現可能である。また、個別構造物や個別システムの設計における耐震性能の評価は、オーナーとの関係において絶対評価(安全性の明示)が求められることが多い。この状況下においては、決定論的に示されるシナリオ地震地図の方が理解が容易である。ただしこの場合でも、不確定性が高い地震現象を扱っていることを忘れるべきではない。対象とするシナリオ地震の発生確率や、震源メカニズムと地震動の生成・伝播における不確定性に基づく総合的な地震動の発生確率を、リスク認識に係わる情報として併せて活用すべきである。
- 規範II─包括的な防災目標設定や優先順位づけのために相対評価が求められる場合:日本全体や特定の地域において防災・減災の目標を設定する場合、防災投資やストック管理のためのリスク評価など、構造物群・システム群の耐震性能評価が求められる場合には、将来にわたり発生しうるすべての地震シナリオを考慮した地震ハザード評価とリスクの地域的分布の相対評価が求められる。また、マルチハザード評価の問題では、地震リスクと台風・水害・日常の事故などのリスクとの相対比較から重要なハザード要因を特定することが求められる。これらの状況の下では、確率論的地震動予測地図が必要なハザード情報を与えるものであり、その積極的活用を図るべきである。この場合でも、部分的な詳細検討が必要な場合にはシナリオ地震地図を併用することは有効である。
3.3 地震工学高度化の要請と地震動予測地図の活用
地震防災課題はすべて、地震ハザードに関する大きな不確定性のもとでの意思決定問題である。この問題に正面から取り組むことは地震リスク評価の問題であり、確率的評価が不可欠となる。それは工学システムの地震リスク評価においてすでに典型的に見られるものであり、個別構造物の設計の分野においても、性能設計の方向に時代が踏み出している以上避けて通れない問題である。この方針を追求していくうえで、地震動予測地図の活用は、これまで述べたように大きな可能性を持つと考えるべきである。
地震リスク評価の信頼性を向上させるために、地震ハザードについては1.1(2)に述べた理学的な面での高度化の努力が要請される。一方、構造物の損傷評価に関しては、いまだ経験工学的性格が強いこと、構造物の真の強度については未だ不明な点が多いことなどから、設計モデルと被災する構造物の現実の間には少なからずギャップが介在する。より洗練された地震リスク評価を目指すためには、構造物の損傷評価においてもこのギャップを無くし、確率論的評価に耐える場を形成するという、地震工学高度化の努力が強く要請される。地震工学の分野は、すでに性能設計の時代に歩み始めており、そこでは構造物の耐震性能はリスク規範により評価されることから、これは重要な課題である。
以上