4.地震動予測地図の工学的ニーズと利用例

 本章では地震動予測地図の利用の現状について紹介する。まず、4.1節において地震動予測地図の工学的ニーズを整理し、4.2節以降において具体的な利用例について示す。

4.1 地震動予測地図に関する工学的ニーズ

 地震動予測地図は確率論的地震動予測地図(確率論的地震ハザード評価)と震源断層を特定した地震動予測地図(シナリオ型地震動評価)に大別される。本節では次節以降で示される地震動予測地図の具体的な利用事例の前段として、それぞれの利用形態を整理しておく。なお、確率論的地震ハザード評価とシナリオ型地震動評価については、それぞれ別個の概念として用いられている現状にあるが、互いの関係や両者の融合の今後の方向性については5章において論じる。

4.1.1 確率論的地震ハザード評価の利用形態

 確率論的地震ハザード評価の利用形態を表4.1.1に示す。表では縦横のマトリックスの形で利用形態を示している。横方向は利用の目的別に、a) 耐震設計・耐震補強、b) リスクマネジメント・LCC(ライフサイクルコスト)評価、c) 地域防災計画・国レベルのリスク評価、d) 不動産評価・地震保険(ファイナンス分野)、の4つのジャンルに分けている。縦方向は確率論的地震ハザード評価の利用形態を踏まえて、次の4つに分類した上で、アウトプットの種別によりさらに細分化している。なお、表4.1.1では現時点ですでに基準類や実務で利用されているもののみならず、今後の利用が期待されるものも含めている。

  1. 震源情報(断層諸元/発生確率)の利用
  2. 一地点でのハザード評価結果(ハザードカーブ/一様ハザードスペクトル/確率論的想定地震)の利用
  3. ハザードマップ(ハザードカーブの点情報の地域分布)の利用
  4. ハザード評価の展開としての地震リスク評価

 以下、表4.1.1に基づき、確率論的地震ハザード評価の利用状況を 1. 〜 4. に分けて概観してみる。

  1. 震源情報(断層諸元/発生確率)の利用

     耐震設計や地域防災計画ではまずターゲットとなる地震を想定する場合が多いが、そこでは震源に関する種々の情報が参照される。地震発生確率に関する情報に関しては、地震の想定の際に「発生確率が××以上の地震を選ぶ」といった閾値が明確にされてはいないが、多くの場合、地震発生の可能性がまったく考慮されない訳でもない。すなわち、想定地震とその発生確率の関係はあいまいな状況にあると言える。
     一方、個々の地震の発生確率情報をより定量的に活用している事例としては、地震保険の料率の評価あるいは複数建物のポートフォリオ地震リスク評価がある(4. とも関連)(4.7節)。将来的にはライフライン施設など空間的な広がりを有する施設(群)の地震リスク評価への活用も考えられる(4.5節)。これらの問題ではリスクの地域分散効果を正しく評価するために、個々の地点でのリスクの単なる足し合わせではなく、個々の地震ごとのリスク(損失)の総和にその地震の発生確率を掛け、それを全地震に対して積和させた評価が必要となる。したがって、個々の地点ごとのハザードカーブを用いるのではなく、発生確率も含めた震源情報が直接用いられる。
     リスクファイナンスの分野では金融市場へのリスク移転の手段として、地震リスクの証券化(債券)や保険デリバティブといった手法が出てきているが、その際の災害指数(トリガー指標)として予め定められた領域内でのマグニチュードが用いられる場合があり、その商品設計ではマグニチュード別の地震発生確率が参照されている(4.7節)。

  1. 一地点でのハザード評価結果(ハザードカーブ/一様ハザードスペクトル/確率論的想定地震)の利用

     基本的に確率論的地震ハザード評価は個々の地点ごとに独立な評価が行われるため、個々の地点ごとの利用が最も一般的である。単一の地震動強さ指標を対象としたハザードカーブ、周期ごとのスペクトルのハザードカーブに基づき同一の超過確率に対する値を繋いだ一様ハザードスペクトル、ハザードの評価結果を再分解し支配的な地震を抽出した確率論的想定地震などがそのアウトプットの形式となっている。
     それぞれ、個別地点における設計用地震動や耐震補強用地震動の設定、リスク評価・リスクマネジメントにおける外力情報、地震PML(予想最大損失)評価における入力レベルの設定、等に活用されている(4.3節、4.4節、4.7節)。特に個別地点での地震リスク評価では、ハザードカーブの微分値にフラジリティカーブあるいはロスカーブを積和することでリスクカーブを得ることができるので、ハザードカーブはその基本情報となる(4. に関連)。
     一方、地域防災計画では地域の空間的な広がりを考慮したマネジメントが必要となるため、個別地点情報である確率論的地震ハザード評価は使いづらい。したがって、対象となる地震を予め想定した上でのシナリオ型地震動評価が用いられるのが一般的である。しかしながら、シナリオ型地震動評価では想定地震の選定方法の不透明さが問題とされる場合があり、確率論的地震ハザード情報とリンクさせた想定地震の選定方法として確率論的想定地震の概念が用いられる場合がある。
  1. ハザードマップ(ハザードカーブの点情報の地域分布)の利用

     確率論的地震ハザードマップ(確率論的地震動予測地図)の利用という意味ではこれが「主役」である。設計地震動のレベルの表示あるいは地域係数の表示といった直接的な地図表現に加えて、耐震補強の順位づけなど地点間の確率論的地震ハザードの相対比較としての利用が考えられる(4.2節、4.4節)。また、リスクマネジメントや地域防災計画においても、地震対策や防災投資の優先順位の決定などへの利用が考えられる。ただし、地震対策の意思決定問題へ活用していくには、ハザード情報のみでなく、それに被害情報を重ねたリスクマップの作成を目指す必要がある。なお、ハザードマップとして、地震動強さと超過確率の関係を地図で表現した従来型のマップに加えて、最近では上述した確率論的想定地震の貢献度の地域分布を示したマップや、個々の地点のハザードカーブの性状を指標化して示したマップなども提案されている1)
     以上の利用は主として専門家あるいは技術者を対象とした話であるが、一般市民向けの利用という意味では、確率の値を直接表現するのではなく、それを翻訳して分かりやすい表現にしたマップが作成される必要がある。確率的な評価ではないが、類似のマップとしては東京都の地域危険度マップ2) がある。そこでは町丁目ごとに建物倒壊危険度、火災危険度、避難危険度、総合危険度が5段階評価で表示されている。確率論的地震ハザード評価の結果をマップの形で翻訳して表現する場合、ハザードカーブの特性は地点ごとに個別性が強いために、一つの確率レベルの結果のみで表現することは必ずしも適切ではないことに注意する必要がある。今後、議論を積み上げることによって、一般市民向けのわかりやすい確率論的地震ハザードマップを検討していく必要がある。

  1. ハザード評価の展開としての地震リスク評価

     確率論的地震ハザード評価の展開として、建物・構造物の被害予測を含めた確率論的な地震リスク評価がある。評価結果は被害もしくは損失とその発生確率(超過確率)の関係を示したリスクカーブや、特定の確率レベルに対する損失額を示したPML(予想最大損失)などで表わされる。個別建物・構造物のリスクカーブはハザードカーブの微分とロスカーブ(損失関数)を積和することによって評価することができるので、ハザードカーブの利用というように位置付けることもできる。確率論的地震リスク評価の適用例としては、原子力施設の安全性評価に用いられている(4.8節)他、不動産評価の一環としての利用や最近ではPMLが設計目標として用いられる事例も出てきている(4.7節)。また、地震リスクに基づいて構造物の供用期間中のライフサイクルコストを評価し、それに基づいて最適な構造設計や耐震投資を行おうとする試みも出てきている(4.4節)。
     リスク評価の結果を地図で表現することにより地域単位のリスクの比較を行うことが可能となるが、広域に及ぶ建物・構造物の被害を積み上げるには膨大な作業を伴うので、わが国ではこのような評価例はまだ見られない。また、広域の地震リスクを地図で表現する場合には、次項に示すリスクの地域分散効果をどのように考え、表現していくかという課題も残されている。ただし、わが国全体のリスクマネジメントのための地震リスクの定量化という観点からは早急に取り組むべき課題であると言える。こうした中で、ある震度に曝される人口(震度曝露人口)のリスクを地域的に比較しようとする試みが見られる3)
     一方、広域を対象とした確率論的地震リスク評価の場合には、1. でも触れたように、リスクの地域分散効果があるために、個々の地点でのリスクの単なる足し合わせではなく、個々の地震に対するリスクの総和にその地震の発生確率を積和させた評価が必要となる。こうした評価は複数の建物(資産)のポートフォリオ地震リスクの評価や、広域の地震リスクの証券化などに利用されている。また、一地点でのハザードレベルではなく、地域での被害(損失)を合算した集積リスクレベルに対する確率論的想定地震の概念も提案されている(4.7節)。

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