A. 日本における確率論的地震ハザード評価に関する研究の変遷

 ここでは、日本における確率論的地震ハザード評価に関する研究の概要について、次の3つの時期に分けて簡単にまとめる。

  1. 第1期: 1950 年頃(河角の研究)〜1985 年頃
  2. 第2期: 1980 年頃〜1995 年頃
  3. 第3期: 1995 年頃以降

 地震ハザード評価は「地震危険度評価」と呼ばれることもあるが、最近は地震動の問題を扱う「ハザード評価」と構造物の被害や損失までを扱う「リスク評価」を分けて議論するのが一般的になりつつあるので、以下では「地震ハザード評価」で統一する。

(1)第1期: 1950 年頃(河角の研究)〜1985 年頃

 Kawasumi(1951)の研究に端を発した日本における地震ハザード評価の研究は、当初は地域係数を含む設計地震荷重の設定の基礎資料として利用された。特に1970〜1980年代は各設計基準が大きく改訂される時代背景にあり、そこでは個々の地点のハザードを詳細に議論するというよりは、むしろ日本全国を概観したハザードマップをアウトプットとする研究が多く見られた(例えば、Kanai・Suzuki(1968)、後藤・亀田(1968)、服部(1977)、松村・牧野(1978)、北澤・上部・檜垣(1984))。また、1981 年に改訂された「新耐震設計法」に関する建設省総合プロジェクトの作業では、こうした研究成果を体系化するために複数のハザードマップの比較が行われた(尾崎、北川、服部(1978))。この時期の地震ハザードマップに関する研究については日本建築学会(1987)に詳しい。
 この時代の地震ハザードの評価方法は、基本的には歴史地震資料に基づいて地震動強さを順序統計量として解析するものである。手法の研究と併せて、歴史地震資料の信頼性の問題(亀田(1978)、Katayama(1978))をはじめとして、個々のデータや評価式に関する改良や標準化に向けての努力が続けられた。1980 年代半ばには地震動強さに当てはめる極値分布に関する新しい提案も行われた(壇・神田(1986))。
 なお、米国においては地震活動の確率モデルを取り入れたいわゆるCornell 流の方法がこの時期に提案されている(Cornell(1968)、Der Kiureghian・Ang(1977))。

(2)第2期: 1980 年頃〜1995 年頃

 この時期の研究の特徴として、活断層データをはじめとする地質学・地球物理学的な情報がハザード評価に取り入れられるようになったことが挙げられる。その背景には1980 年に日本の活断層情報を集大成した「日本の活断層」が出版されたことがある。活断層データのみに基づくハザード評価の研究(Tomatsu・Yasuda・Katayama(1983)) のみならず、活断層データと歴史地震データを併用したハザード評価の研究も行われた(Wesnousky・Scholz・Shimazaki・Matsuda(1984)、亀田・奥村(1985)、土岐・佐藤・清野・藤村(1991))。また、主要活断層周辺の地殻歪進行率に基づいた評価を行った研究も現れた(力武(1988)、Rikitake(1989))。活断層を考慮したハザードマップの研究については垣見(1992)に詳しい。
 一方、1980 年代になると、長大橋梁や高層建物などの重要構造物の設計地震動を個別に設定するための基礎資料として、建設地点における地震ハザード評価が行われるようになった(例えば、建設省土木研究所(1981)、建設省土木研究所(1986))。また、1980 年代の半ば頃からは、日本でも原子力発電所を対象として確率論的地震リスク評価(地震PRA、地震PSA)が手がけられるようになった。このため、個々の地点を対象としたハザードカーブを精度よく評価する研究が注目されるようになり(亀田(1986))、それに伴って個々の評価モデルに対して多くの検討・改良が試みられた(例えば、蛯沢・高荷・田中・阿部(1991))。
 この時期の地震ハザード評価手法は地震活動の確率モデルを取り入れた方法が主流となった。その理由は、活断層情報の導入など、過去に発生したことが明らかになっていない地震についてもモデル化するようになったためである。また、地震発生の時系列モデルは、一部に周期性を考慮した非定常なモデルを用いた研究も見られたが(例えば、Kameda・Takagi(1983))、基本的には定常ポアソン過程に基づく研究が大半であった。1980 年代後半.1990 年代に入ると、ハザードカーブやハザードマップを評価するのみでなく、地震ハザード評価結果をより多様な観点から解釈することを意図した研究も現れはじめた。単一の地震動強さのみの取扱いを拡張して複数のパラメータの同時評価法を目指した研究(亀田・石川(1988)、Kameda・Nojima(1988))や、地震ハザード評価に基づいて想定地震(シナリオ地震)を選定しようとする確率論的想定地震の概念もこの時期に提唱された(石川・亀田(1990))。

(3)第3期: 1995 年頃以降

 1995 年に発生した兵庫県南部地震は、日本の地震工学の研究に対して大きな課題を突きつけた。その一つが同地震がもたらした低頻度巨大災害の解釈と今後への対処である。活断層を考慮した神戸における地震ハザード評価の結果(石川・奥村・亀田(1996)) から、今後の地震ハザード評価においては、活断層データを考慮することと1000 年オーダーの再現期間までを考慮することが不可欠であることが指摘された。
 一方、耐震設計や地域防災計画に際して、地震発生確率がきわめて低い活断層については、発生頻度云々の議論ではなく、地震の発生を前提として地震動を評価すべきという、いわゆる想定地震の考え方が強く主張されるようになった。その背景には想定地震に対する強震動予測技術が向上し、それを用いて神戸周辺で観測された地震動記録が説明可能となったことがある。しかしながら一方で、いつ活動するか分からない活断層の活動をすべて想定して耐震設計や地域防災計画を行うことには経済性の面などから疑問を唱える向きもあった。このようなことから、要注意の活断層を抽出するための調査研究の重要性とともに、活断層を考慮したハザード評価に対する理解ならびに想定地震による地震動とハザードレベルとの関係の明確化などが重要な課題として指摘されるに至った。
 兵庫県南部地震の教訓を経て、政府に設置された地震調査研究推進本部では、「基盤的調査観測の対象活断層」として選定した全国の98 の活断層帯の調査に着手した。調査項目は、活断層の位置、長さ、平均変位速度、単位変位量、活動の際の地震規模、平均的な活動間隔、最新活動時期などであり、調査結果の概要はホームページを通じて順次公表されている。このような動きを踏まえて、活断層調査から得られる最新活動時期の情報を考慮した地震発生確率の評価方法に関する提案が行われ(奥村・石川・亀田(1997))、その後、地震調査研究推進本部の長期評価部会では、BPT(Brownian Passage Time)分布を用いた地震発生確率の評価方法を公表している(地震調査研究推進本部地震調査委員会長期評価部会(2001))。今後、地震調査研究推進本部より、活断層や海溝型地震の発生確率が具体的な数値として公表されることになる。
 一方、兵庫県南部地震の前後より進められてきた多くの研究成果を地震ハザード評価に活用する動きも盛んになってきた。具体的には、活断層に関する理解の進展とそれを考慮した地震活動のモデル化、震源データの精度向上に基づくランダム地震活動域の詳細なモデル化、地震動強さ指標としての震度の計測震度化、震源近傍まで適用可能な距離減衰式の開発、国土数値情報を用いた表層地盤の増幅特性の評価などであり、1998 年頃よりそれらを反映した地震ハザード評価に関する研究が数多く発表されるようになった(安中・矢代(1998)、Annaka・Yashiro(2000)、吉田・今塚(1998)、Kumamoto(1999)、隈元(1999)、長橋・柴野(1999)、損害保険料率算定会(2000)、宇賀田(2001)、松本・田村・中尾(2001)、中尾・田村(2001))。これらの研究の多くでは、上述のような活断層調査の動きを受けて、活動履歴が明らかな地震についてはそれを考慮した非定常な地震発生時系列モデルが用いられている。すなわち、これからのハザード評価においてはこのようなモデルを用いることが標準となると考えられ、このため評価結果には時間軸の明記が必須の要件となる。
 最近では、地震動強さのハザードマップではなく、(2)の最後に述べた確率論的想定地震の概念のうちの地震活動域の貢献度を指標としたハザードマップについても新たに提案されている(亀田・石川・奥村・中島(1997)、中島・亀田・石川・奥村(1998))。これは当該地点の対象ハザードレベルに対する地震活動域の影響の程度(貢献度)をマップの形で表現したものである。
 地震調査研究推進本部では当面推進すべき地震調査研究として「活断層調査、地震の発生可能性の長期評価、強震動予測等を統合した地震動予測地図の作成」を掲げている。地震動予測地図にはシナリオ地震(想定地震)による予測地図と確率論的な予測地図の2種類が考えられるが、このうちの後者は従来のハザードマップと同種のものであると考えられる。今後、より新しい種々の知見が反映されたハザードマップ(確率論的な予測地図)が体系化されていくものと思われる。なお、地震動予測地図作成の活動の一環として、昨年より地震調査研究と地震防災工学の連携ワークショップが開催されているが、その中で、兵庫県南部地震以降の動きを踏まえた地震ハザード評価に関する最新動向と課題が整理されている(石川(2000)、石川(2001))。
 兵庫県南部地震の教訓と設計基準の国際化の流れがあいまって、日本でも各種の設計基準が従来の仕様規定から性能照査型設計法へ向かう方向にある。このような趨勢は、今後の構造物の耐震設計や防災計画において、各種の安全性を照査・検討するための地震動のレベルを従来以上にきめ細かく設定することの必要性を示唆するものであり、その流れにあっては、各レベルの地震動がどの程度の確率で生じるのかを定量化していくことは避けられない状況となっている。一方、規制緩和と自己責任の時代を迎え、あらゆる分野でリスクマネジメントに対する関心が高まっている。兵庫県南部地震での震災事例をひくまでもなく、日本では地震に対する備えは必ずしも安心できる水準には至っておらず、加えて、保険制度などリスクをヘッジする手段も十分に機能しているとは言い難い。この方面からも地震ハザード評価の一層の進展が期待されている。